1949-04-08 第5回国会 衆議院 決算委員会 第5号
それから最後の製糸業整備資金、それから帝國蚕糸組合に融資弁償金の肩がわりをしたという件についてでありますが、これは昭和七年の蚕糸恐慌の結果生じたものでありまして、生糸の恐慌に際しましての糸價安定の対策は第一次は大正四年、第二次が大正九年でありますが、それぞれ帝國蚕糸株式会社をつくりまして、これは所期の目的を達成しました上にそれぞれ剰余金を生じまして、政府に寄附をするとか、生糸檢査所の設備の拡充をはかるとかしたのでありますが
それから最後の製糸業整備資金、それから帝國蚕糸組合に融資弁償金の肩がわりをしたという件についてでありますが、これは昭和七年の蚕糸恐慌の結果生じたものでありまして、生糸の恐慌に際しましての糸價安定の対策は第一次は大正四年、第二次が大正九年でありますが、それぞれ帝國蚕糸株式会社をつくりまして、これは所期の目的を達成しました上にそれぞれ剰余金を生じまして、政府に寄附をするとか、生糸檢査所の設備の拡充をはかるとかしたのでありますが
ただ帝國蚕糸の問題について投書が來たので、これは檢事局にそのまま渡して檢挙されておるはずです。檢事局には一束にして二十何通も投書を竹内檢事に渡しておる。
○石田(一)委員長代理 この帝國蚕糸というのは、梅村氏には全然関係のないものですか。